人と街、歴史と文化、新しさと楽しさを兼ね備えた「保土ケ谷宿場まつり」の未来をつくりたい!

宿場街400年の歴史を未来に引き継ぐ「保土ケ谷宿場まつり」活性化プロジェクト
  •   LOCAL GOOD YOKOHAMAに投稿するにはログインして下さい

募集終了

365,000
支援者
62
最低必要金額
300,000
目標金額
450,000
募集終了まで
0
達成率:
122%

プロジェクトオーナー

「保土ケ谷宿場まつり」は、1601年、江戸時代に東海道の宿場となり、交通の拠点として賑わった「保土ケ谷宿」の歴史と伝統を今に伝えるべく、1990年から始まったお祭りです。保土ケ谷宿場まつり実行委員会は、保土ケ谷宿があった地域の商店街から「保土ケ谷宿場まつり」の運営を引き継ぐため、2011年に結成しました。2016年度は10月9日(日)・10日(月・祝)に開催致します。

メッセージを送る

スキルと物品の募集

  • ライター・カメラマン

    活動報告の一環として、宿場町保土ケ谷の歴史の語り部さんや、保土ケ谷宿場まつりにまつわるエピソードを記事として公開する予定です。記事執筆や写真撮影にご協力頂けるライター・カメラマンを募集します。

    協力する
  • 関連イベント企画・運営スタッフ

    今回のクラウドファンディングの取り組みを広く知っていただくために関連イベントの開催を検討しています。そのイベントを一緒に企画・運営して頂ける方を募集します。

    協力する

支援するコースを選択

歴史の案内板から、地域の歴史と先人の想いを知る

2016年8月15日
私たちの住む街を良くしていきたい。その思いは、江戸時代でも現代でも変わりません。
地域で目にする歴史の案内板。普段の生活では、その存在すらも気にしないことがほとんどだと思います。
しかし、一歩足を止め、案内板に書かれていることを読むと、先人たちがどのような想いで街を作ってきたのかを伺い知ることができます。
今回は保土ケ谷の歴史紹介として、宿場町の街並みに位置している案内板を紹介します。

保土ケ谷宿の歴史を伝える案内板「歴史の道」。
そのひとつに「旧中橋跡」(きゅうなかのはしあと)について紹介している案内板があります。

県警の反則センターの斜向かいに旧中橋跡(保土ケ谷区岩間町2付近)があります。
この場所は、慶安元年(1648年)に江戸幕府の公共事業によって造られた今井川の河川でした。
しかし、人工的に造った河川には瑕疵があり、大雨が降ると浸水する構造上の問題が生じておりました。

嘉永5年(1852年)、遂に幕府は修繕工事を決定します。
それは当初の河川工事を行ってから200年以上の歳月が過ぎた時のことでした。
従来から地元関係者が改善を要望していたことと、東海道の交通量が増えたことの2つの要因によって幕府は重い腰を上げたのです。
案内板には、このように書かれています。


歴史の道 旧中橋跡
今井川の改修
かつて今井川はここで宿場を横切っており、「中橋」が架けられていました。
その川筋は慶安元年(1648)に新しい保土ヶ谷宿が建設された際に人工的に造られたものでした。
しかし、その流路の構造から大雨のたびにここで水が滞り、しばしば下流域を浸水することになりましたが、なかなか改善されませんでした。
しかしながら幕末にいたって人馬の往来が急増してきたため、 嘉永5年(1852)宿場では改修費用100両を準備するとともに、町役人が200両の借用を代官へ陳情し、 認められるとただちに現在の川筋に改修されました。

保土ヶ谷宿と品川台場建設
今井川改修で発生した多量の残土の処理に困った名主苅部清兵衛は、当時建設中だった品川台場(外国の侵入に備えた砲台)の埋め立て用の土として江戸幕府へ献上することを申し出、3000立坪(約18,000立方m)あまりの土を船で品川に運び、この問題を解決したと伝えられています。

平成16年3月 保土ヶ谷区役所


地元のまち・保土ケ谷を良くしたいと思い行動した江戸時代の人々。
その精神は、現代の私たちがしっかりと受け継いでおります。
過去から現在、そして未来へと歴史をつなぐ宿場町、保土ケ谷宿場まつりは、人々の想いが集まる場です。皆様とこの想いをシェアできたら幸いです。

コメント一覧

この投稿へのコメントはありません