募集終了
- 365,000円
- 支援者
- 62人
- 最低必要金額
- 300,000円
- 目標金額
- 450,000円
- 募集終了まで
- 0日
- 達成率:
- 122%
プロジェクトオーナー
「保土ケ谷宿場まつり」は、1601年、江戸時代に東海道の宿場となり、交通の拠点として賑わった「保土ケ谷宿」の歴史と伝統を今に伝えるべく、1990年から始まったお祭りです。保土ケ谷宿場まつり実行委員会は、保土ケ谷宿があった地域の商店街から「保土ケ谷宿場まつり」の運営を引き継ぐため、2011年に結成しました。2016年度は10月9日(日)・10日(月・祝)に開催致します。
スキルと物品の募集
支援するコースを選択
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支援者一覧パネルへの御名前掲載 + 当日来場時に振る舞い酒セットご提供
- 支援金額
- 3,000円
保土ケ谷宿場まつり当日、ご支援頂いた皆様のお名前を掲載したパネルを掲示致します。
また、当日来場時に、名物「宿場そば」と振る舞い酒、記念品をご提供致します。 -
支援者一覧パネルへの御名前掲載 + 宿場まつりDVD
- 支援金額
- 3,000円
保土ケ谷宿場まつり当日、ご支援頂いた皆様のお名前を掲載したパネルを掲示致します。
また、保土ケ谷宿場まつり開催から1ヶ月後に、当日の模様などを収めた開催報告DVDを記念品とご一緒に送付致します。 -
支援者一覧パネルへの御名前掲載 + 宿場まつりDVD + 当日来場時に振る舞い酒セットご提供
- 支援金額
- 5,000円
保土ケ谷宿場まつり当日、ご支援頂いた皆様のお名前を掲載したパネルを掲示致します。
当日来場時に、名物「宿場そば」と振る舞い酒、記念品をご提供致します。
保土ケ谷宿場まつり開催から1ヶ月後に、当日の模様などを収めた開催報告DVDを送付致します。 -
支援者一覧パネルへの御名前掲載 + 宿場まつりDVD + 当日来場時に振る舞い酒 & おみやげ1品ご提供
- 支援金額
- 10,000円
保土ケ谷宿場まつり当日、ご支援頂いた皆様のお名前を掲載したパネルを掲示致します。
当日来場時に、名物「宿場そば」と振る舞い酒、記念品をご提供致します。
おみやげとして、日々のお料理にも活用できる「北川製粉所謹製 純国産そば粉」をご提供致します。
保土ケ谷宿場まつり開催から1カ月後に、当日の模様などを収めた開催報告DVDを送付致します。 -
支援者一覧パネルへの御名前掲載 + 宿場まつりDVD + 当日来場時に振る舞い酒 & おみやげ2品ご提供
- 支援金額
- 30,000円
保土ケ谷宿場まつり当日、ご支援頂いた皆様のお名前を掲載したパネルを掲示致します。
当日来場時に、名物「宿場そば」と振る舞い酒、記念品をご提供致します。
おみやげとして、日々のお料理にも活用できる「北川製粉所謹製 純国産そば粉」と
かつて保土ケ谷区の名産品であったじゃがいもで作った「横浜銘酒 四百年の夢 ほどじゃが焼酎」
をご提供致します。
保土ケ谷宿場まつり開催から1ヶ月後に、当日の模様などを収めた開催報告DVDを送付致します。
公共リターン
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宿場祭り映像&写真/デジタルアーカイブ用素材
宿場祭り映像&写真/デジタルアーカイブ用素材
人と街、歴史と文化、新しさと楽しさを兼ね備えた「保土ケ谷宿場まつり」の未来をつくりたい!
■宿場町の歴史と保土ケ谷宿場まつりの使命
横浜市保土ケ谷区は、202,774人が暮らしているまちです(横浜市統計・2015年)。横浜市で最大のターミナル・横浜駅からJR横須賀線でひと駅の保土ケ谷区駅周辺にありながら、観光ガイドで紹介される港や外人墓地などの風景とは縁遠い、住宅やマンションが建ち並ぶ町です。 そんな保土ケ谷ではありますが、江戸時代は日本のメインストリート「東海道」の、品川・川崎・神奈川に続く4番目の宿場町として、大名行列を始め幕府の公用、商い、庶民の観光、旅など多くの人が往来し、賑わい、栄えた歴史があります。慶長6年(1601年)の正月、徳川家康より出された「伝馬朱印状」と伊奈忠次らによって出された「御伝馬之定」により、保土ケ谷宿が成立。その後、宿場の整備が進み、万治3年(1660年)には現在の保土ケ谷町・帷子(かたびら)町・岩間町に相当する地域からなる保土ケ谷宿ができました。
歌川広重の「東海道五十三次」のなかにも、当時の保土ヶ谷宿を描いた浮世絵が何枚も存在します。
江戸時代から400年続いた宿場町の伝統を現代に再現するために生まれたのが、かつて保土ケ谷宿があった地域で開催している保土ケ谷宿場まつりです。 現在は”一般的な地域のお祭り”としての取り組みだけでなく、宿場町の歴史を語るツアーや、明治以降の宿場町の歴史などを写真やジオラマとして展示しています。こうした活動を通して、保土ケ谷宿の歴史と伝統を後世に引き継ぐために活動をしています。
プロジェクトの目的/課題認識
■子どもの記憶に残るふるさとの風景「宿場まつり」でつながる地域
今年で27回目を迎える「保土ケ谷宿場まつり」。神奈川県内の「旧東海道」宿場まつりとしては、最も歴史を重ねている実績があります。(箱根「大名行列」を除く)。バブル時代の地元商店街を主体とした補助金依存の運営から、2011年の東日本大震災以降に地域に開かれた参加型の祭りへと大きく変化したこの宿場祭りは、今年・2016年も10月9・10日の2日間にわたって、保土ケ谷駅西口商店街を通行止めにした道路と、イコット広場(旧・保土ケ谷小学校跡地)で開催されます。
このお祭りは、かつて宿場町として栄えた保土ケ谷宿の記憶を、次代の子どもたちにつないでいく役割を持っています。そしてもうひとつ、今を生きる大人達が懸命にこの地域の人たちをつなげ「楽しく・暮らしやすくする」という場の機能も持っています。
お祭りのある風景は「当たり前」ではありません。この2日間をつくるため、まちの大人達は1年間、仕事が終わった夜や休日に集まって話し合い、お金を集め、色々な人たちと交渉しています。
多くの人の関わりによって、まつりを子どもや高齢者が安全に楽しむ態勢が整い、ふるさとの風景として記憶に残る祭りにするため、私たち「保土ケ谷宿場まつり実行委員会」はクラウドファンディングに挑戦します。
私たちはより地域の人たちが宿場まつりの運営や企画に参加しやすい仕組みを考えています。毎月一回のオープンな運営会議には、現在も誰でも参加できますし、このクラウドファンディングもその一環です。時間がなくても、資金やスキルでぜひ保土ケ谷宿場まつりの存続に力をお貸しください。
他区・他地域の方にとっては「保土ケ谷区宿場まつり」の存続は「他人事」に思えるかもしれません。けれども、わたしたちは「東海道」という「日本の大動脈」の宿場町として栄えた町の記憶と歴史を、さまざまな方々の力や知恵をお借りしながら、次の世代に手渡していきたいと考えています。
まちの価値をどのように広く伝えていくのかという課題は、多くの地域にも共通しているのではないでしょうか?私たちが今回体験する「インターネットを使った地域のつながりの新たな掘り起こし・資金調達」の経験は、他地域の方々にも共有していきたいと思います。ぜひ、ご支援をよろしくお願いいたします。
■経済の波に飲まれていく保土ケ谷宿場まつり
「保土ケ谷宿場まつり」は、保土ケ谷宿があった地域の4商店街が共同し、1990年にスタートしました。
当時はいわゆる「バブル時代」。地域活性化イベントに対して行政も予算を潤沢に出していました。国・県・区からの補助金、4つの商店街自体が出す協賛金などで1000万円の予算をかけ、保土ケ谷区長が大名に扮した「大名行列」を催すー。こうした時代が、かつてありました。
それから20余年が経過し、日本の経済状況・社会環境は変化しました。大型店の出店、車社会の進展などで多くの商店街が活気を失っていきました。また、少子高齢会、税収の悪化・さまざまな社会課題への対応で、行政から商店街への補助金も削減されていきました。
その影響は、保土ケ谷宿場まつりの開催を担っていた地域の商店街も例外ではありません。まつりを担っていた商店街も櫛の歯が欠けるように減り、最後は「保土ケ谷西口商店会」「さつき会」だけになってしまいまいました。
また、商店会自体、後継者難などから店を閉じてオフィスやマンションにする加盟店が相次いでいます。「保土ケ谷西口商店会」は現在48店が登録していますが、実際に物販を行っているのは10件にも満たないのが現状です。
資金も運営側も減り続け、気がつけば保土ケ谷宿場まつりは担い手も存続の危機に陥りました。
一方、帷子町に隣接する月見台にあった保土ケ谷小学校が2000年に神戸(ごうど)町へ移転。それに伴い、横浜市による保土ケ谷小学校跡地利用のプロジェクトが計画されました。
しかし、現在でも暫定利用として「イコット広場」「イコットハウス」が開設されたところで、計画がとどまっている状態にあります。気がつけば、保土ケ谷宿があった地域から、子どもの声を聞く機会が大幅に減りました。
■再生を目指してきた保土ケ谷宿場まつり
こうして、宿場町として賑わった保土ケ谷宿の地域から、歴史と伝統の灯が消えようとしていました。
しかし、保土ケ谷宿場まつりがそのまま終わっていくことはありませんでした。2011年、それまで保土ケ谷宿場まつりの運営を担っていた「保土ケ谷駅西口商店街」「さつき会」が、「保土ケ谷宿場まつり実行委員会」を立ち上げました。
保土ケ谷駅近くで歯科医院を開業する現・副実行委員長の山道在明さんは、17年前に保土ケ谷区民になりました。当初はお祭り当日にぶらぶらする、一参加者。けれども毎年行われる祭りの風景が、故郷の記憶として子ども達に残っていく価値に気づき、商店会の運営側に携わるようになりました。山道さんは「存続の危機になったとき、思ったんですよね。『この祭りをなくしたら、この町の子どもはどこで保土ケ谷の思い出をつくるのだろう』と。先輩たちに続けたい、と訴えました」と5年前の運営体制変更時を振り返りました。
商店会が主体の体制から「実行委員会方式」への変換は、もっと多様な人たちでまつりをつくり、地域で支えていくためのチャレンジでした。現在、実行委員会メンバーは約40人。商店主だけでなくNPO法人の役員や自治会関係者、サラリーマンや先生など、これまでまつりに出展してくれた人、参加していた住民など多様なメンバーがそろっています。そのせいか、「自分たちのまつり」という意識を持つ人が増えました。
こうした多様なバックグラウンドを持った実行委員の参加によって、保土ケ谷宿場まつりは再生への道を歩み始めました。
この4年で
- ステージイベントの拡充
- 子どもたちも楽しめるサテライト会場「ほどがやキッズ村」の設置
- ネットを使った新しいプロモーションの実施
- 保土ケ谷宿場まつりの魅力を伝える宿場小町を選ぶ企画の実施
新体制になってから、保土ケ谷宿場まつり再生の取り組みは実を結びつつあります。
保土ケ谷宿場まつり実行委員会結成の直前、2010年の来場者数(2日間)は2万人前後でした。
それから4年が経過した2015年は、2日間で延べ2万8,000人の来場者で賑わうようになりました。
さらに、保土ケ谷宿場まつりのマスコットキャラクター「宿場くん」も、地域住民に愛されるだけでなく、横浜市民のみなさまに広く知られるべく活動を開始しました。
この宿場くん、予算がないなかでも「子どもたちにアピールしたい、楽しんでもらいたい」と実行委員会でつくろうということになり、副実行委員長の山道さんの手作りで生まれたユニークなゆるキャラです。今年(2016年)6月には横浜Fマリノス主催試合のイベントに参加し、ゆるキャラ人気投票では他地域を抑えて30組中10位と健闘する人気を集めました。
■人と街、歴史と文化、新しさと楽しさ を兼ね備えた次なるおまつりへ
おまつりは私たちのまちのビッグイベントです。しばらくの間、おまつりのもたらす感動は進化していませんでした。でもこれからは違います。参加者一人一人が「このまつりをつくること、楽しむことが保土ケ谷の未来につながる」と気づくと、すべてが進化し始めるのです。自分がたのしみ、地域も楽しませる「こと」を作っていく場としてのまつり。もちろん、その軸には「保土ケ谷宿の歴史を伝える」という芯が一本通っています。
保土ケ谷宿場まつりを
- 人と歴史と文化が行き交う
- 伝統のなかに新しさと楽しさがある
これが、私たち保土ケ谷宿場まつり実行委員会の目指すビジョンです。
そのために私たちができること、やらなければならないことが数多くあると感じています。
これまでの5年間、私たちは保土ケ谷宿場まつり再生のために、さまざまな取り組みをしてきました。その結果として、地域の多くの方々が足を運んでくださるようになりました。
さらに、昨年より保土ケ谷小学校跡地「イコット広場」を保土ケ谷宿場まつり開催中は「ほどがやキッズ村」として使えるようになりました。
この「ほどがやキッズ村」を開設できたことを契機として、保土ケ谷宿に再び子どもの声が聞こえてくるよう取り組んでいく。
それが、宿場町400年の歴史を次の100年に引き継ぐために、いま私たちができることだと考えています。
その一方で、私たちの予算繰りは数年来厳しい状況が続いています。実行委員の一人、岡本睦良さんが中心になって企画している「ほどがやキッズ村」は、2014年から旧・保土ケ谷小学校跡地のイコット広場で展開しています。
ストリート会場ではゆっくり遊べなかった子ども達も、ここでは家族と一緒に昔の遊びを体験したり、防災知識を学んだりできます。また、隣接する「イコットハウス」に展示されている保土ケ谷宿の歴史展示ゾーンとつながっているので、「学び」の機会へいざなうための重要な場となっています。
好評を博しているこのキッズ村と、既存の祭りゾーンの動線を確保するため、警備の強化などが必要となりました。この動線上には交通量の多い道路があるためです。
一時は縮小して開催することも考えましたが「私たちはより多くの子どもたち、地域の人たちに祭りを楽しんでもらいたい。縮小ではなく、より一層広く支援を呼びかけて、 この状況を打破したい」と副実行委員町の山道さん。そんな想いから、今回のクラウドファンディングを立ち上げました。
現在、保土ケ谷宿場まつりは「好評を得ながらも、資金繰りが苦しく、来年の同規模開催に不安がある」(山道さん)という状況です。
また、ステージに出演してくれた人たちやプロの芸人さんにも「ジュース1本、お弁当も出せない」という状況が続いています。この状況も、改善していきたいと実行委員会では考えています。
そのような状況でもなぜ、このまつりを続けるのでしょうか?なにが「保土ケ谷宿場まつり」の魅力なのでしょうか?
2015年から「保土ケ谷宿場まつり」に参加したNPO法人ぎんがむら理事長の望月聖子さんは「小さなブースをだしただけでしたが、ふだん事業所にこもっていては出会えない地域の人たちと話し、子ども達とふれあうことができました。つながりが薄かった私たちにとって、おまつりをつくる過程で地域の多くの人たちと知り合えたことで、保土ケ谷が素敵な町だなあということを体感できました」と"まつり効果"について語ってくれました。
議長の中村さんは、かつて宿場まつり運営の中心で、商店会会長だった亡き父の言葉が頭を離れないと言います。「父とかわした最期の言葉は『裕也、宿場まつりの手続き、警察に行けなくなったから代わりに行ってくれ』でした。それだけこのまつりを続けることを父は強く願っていたんですね」。
27年間にわたって「まつり」を続けてきた人たちの思いを、ぜひ知ってください!毎月1回の運営会議の現場でも、クラウドファンディングでもぜひ皆様の参加・支援をお待ちしています。
プロジェクトの達成目標/創出効果/成果物
皆さまからのご支援を得て、今年度は子どもたちも楽しめるサテライト会場「ほどがやキッズ村」にて、・来場者3万人に対応できる警備体制
・保土ケ谷で活動する多くの地域団体の活動を紹介できるスペース
を実現します。
それにより、おとなもこどもも、これまで以上におまつりを楽しんでいただける場を創ります。
このプロジェクトを実現させることで、これまで保土ケ谷宿の地域住民が中心だった保土ケ谷宿場まつりを、より広い地域の住民の方でも楽しんでいただける場にアップグレードします。
そして、皆さまからご支援頂いた恩恵を、皆さま、地域住民、そして全ての参加者へ全力還元させて頂きます。
プロジェクト構成メンバー/経歴
■保土ケ谷宿場まつり実行委員会保土ケ谷宿場まつり実行委員会は、2011年に「保土ケ谷宿場まつり」の運営を担うべく結成しました。
かつて保土ケ谷宿があった地域の企業、店舗、医院、地域住民を中心に有志が集まり、毎年10月第2週に「保土ケ谷宿場まつり」を開催するべく、活動をしています。
■保土ケ谷宿場まつり クラウドファンディング担当
志田健一 : 1984年 横浜市生まれ。宿場町エリアである帷子町で生まれ育ち、保土ケ谷宿場まつりの草創期から現在に至るまでの趨勢を見てきた。「私が愛する保土ケ谷宿場まつりの再生に関わる」と決意し、2014年に保土ケ谷宿場まつり実行委員会に参画。広報業務の一環として、Facebookページ、Youtubeチャンネルの立ち上げと運営に関わる。2016年より、広報業務を担いながら、クラウドファンディング企画を立ち上げる。
田野口大樹 : 1985年 海老名市生まれ。2010年に志田健一と出会い、2014年に保土ケ谷区に移住。2016年、保土ケ谷宿場まつり実行委員会によるクラウドファンディング立ち上げを支援するため、保土ケ谷宿場まつり実行委員会に参加。