ファール ニエンテ「みんなの庭」プロジェクト

知的障がい者の働く場に、地域の誰もが立ち寄れるコミュニティガーデンをつくりたい!
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募集終了

321,500
支援者
36
最低必要金額
200,000
目標金額
300,000
募集終了まで
0
達成率:
161%

プロジェクトオーナー

社会福祉法人開く会 共働舎 施設長。
大学1年より法人の前身となる福祉活動に参加し、1990年法人設立とともに入職。
共働舎、陶芸部門担当、地域作業所はたらき本舗 所長(製菓・製パン)を経て、2003年共働舎施設長就任。

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-「ただの人」として出会える場所に育てたい-『みんなの庭 プロジェクト』

2014年11月4日
 2011年の東日本大震災の直後、計画停電等でパンなどの製造や計画していたイベントをどうするかなど、あれこれ対応に追われていた時のある朝のこと、職場に向かう私の少し前にカートを引いた80代と思(おぼ)しき女性が歩いていました。

その女性はスーパーマーケットに入ると、店員から何やら引換券を受け取っていました。引換券をその女性に渡した店員は「販売まではだいぶ時間があるから、後でまた来てくださいね」と話しており、女性は言われるまま、来た道をまたとぼとぼと戻っていきました。

まだ寒さの残る朝のこと、「販売が始まるまでだいぶあるけれど、ここで座ってお待ちいただいてもいいですよ」という声掛けはできないのか、と思いました。

開店前で人員が少なく、店内に1人で座らせていたら「何か盗られるんじゃないか」「1人に居場所を提供などしたら、誰も彼もとなって収拾がつかない」とか、そんな心配があったのかもしれません。それでも「何とかならないのかな?」という思いが残ります。

 振り返ってみると、「働いているひと」か「消費しているひと」のどちらかでしかなく、「ただの人」として社会のなかにいるということができにくい、そういう世の中になっているのではないかという気がします。

 だから「働けない(と思われている)ひと」や「お金のないひと」はどこにも居場所が見つけられなくなってしまう。「働いているひと」や「お金のあるひと」も、実は自分の一定の「(働く)能力」や「所有」がなければすぐに居場所がなくなってしまう。

 一見「つながっている」ように思えても、その多くはその場限りのやり取りでしかないことを実は感じていて「気づかないふりをしているんじゃないか」と、そんなふうに感じることがあります。

 そこで働いている人がいる時間であれば、いつ立ち寄ってもいい、特に何かを買ったり、何かをする必要もない、そんな場所があったら。

 朝、散歩の途中にベンチに腰掛けて庭をの木々を愛でる人、時々、パンを買いに来る人、天気の話をしていく人ー。
 昼前には近くの保育園の子供たちがやってきて、花を眺め、庭で働いているスタッフが差し出したシロツメクサのネックレスに歓声を上げている。お昼どき、ベビーカーの子ども連れのママたちが青空の下、庭で子どもを遊ばせ、近所のお年寄りが子どもたちの様子に目を細め声をかけている。働いているスタッフに植木の手入れの仕方をたずねる人もいれば、天気がよければ毎日決まった時間に、孫を連れてやってくるおじいさんもいる。

 春はモクレン、コブシ、ハナミズキと次々と咲く花たちを見上げ、夏はブルーベリー摘みのイベント、大きなカツラの樹の下で心地よい風に吹かれ、秋は赤く染まった落ち葉を拾い、冬は、春に咲く準備を始めた花芽をそっとなでる。
 
ほとんど、毎日のように訪れ、自然と会話を交わすようになったあの人、このところ天気も良いのに顔を見てない。確か一人暮らしだとおっしゃっていたけれど、大丈夫だろうか?ご近所だといっていたあの方が見えたら聞いてみようー。

そんな気持ちになれるのも、四季折々、楽しめる植物といろいろな人との出会いがあるからだろう。

10年後、この場所は変わらずあるだろうか?自分がいなくなっても、自分の子供たちやその子供たち、その時代、時代にこの地域で暮らす人たちにもこんな豊かさを味わってほしい。そんなふうに思える「みんなの庭」をつくりたいな、と考えています。

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